京城日報 1943-08-15
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- Publication date
- 1943-08-15
- Collection
- kjnp-archive; newspapers; eastasia-periodicals
- Language
- Japanese
- Item Size
- 75.0M
Japanese newspaper published in Korea until 1945. Includes early issues under title 京城新報 and 朝鮮日報
- Addeddate
- 2021-10-03 17:31:39
- Identifier
- kjnp-1943-08-15
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- ark:/13960/t7nq4k552
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- Internet Archive Python library 2.1.0
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Reviewer:
tpjv86b
-
February 23, 2022
Subject: 母子揃って楽しい一時
Subject: 母子揃って楽しい一時
母子揃って楽しい一時
胸搏たれる白衣の勇士の純情
芸能慰問隊・帰還報告座談会
文英子:兵隊さん ... はほんとに偉いと感じさせられました。内鮮一体を言葉でなく身をもって度々示されたからです。純真で率直な兵隊さんは朝鮮服で慰問する私共に心から感謝し再起奉公を誓って下さるのです。勿体なくて泣かされた事も度々でした。勇士が戦場に出て世界一強い理由がハッキリしました。
私共もこれこそ”神の国”だと悟らされ、半島の銃後も愈々これからだ、との無言の暗示を受けました。或る一組の兵隊さんとお母さんを見ましたが、やはり赤十字病院で慰問の後、記念撮影することとなり、一人の重傷者は『自分も是非入りたい』。それから、その日見えたお母さんらしい年老いた方をも差しまねいて一緒に入って、とても満足そうでした。聞く處によりますと、その勇士は半島慰問団が来るというので遠い田舎から手紙で母親を呼び寄せ、自分も幾日も前から指折り数えて充分楽しむことが出来たと非常な喜びようでした。事情を知って私達一同も今更胸をうたれた次第でした。
金淑瓊:広島に着いたのは夜中の十二時で、みんなも相当疲労して監督格の金錦紅さんは持病の脚気がつのって遂に倒れましたが、あんなに喜んで下さる兵隊さんの様子をみると休むことは出来ないと注射を打って無理に舞台を勤めようとするのを姉さんの分はみんなで勤めますから、どうか休んで下さいと無理に頼んで休んで戴きました。そんな風に一同張切りました。
金剛春:妓生の芸なんてどんなことをするんですかーと言われた時は全く悲観しましたが、講演が終ると俄かに態度を改めて『やあ全く素晴らしい』とサイン帳など持って殺到されるんです(笑声)。こんな時には、やはり甲斐があったと愉快になりました。下関では、足の不自由な兵隊さんが『今日はほんとに有難う、これは少しですがみんなでのんで下さい...』と”ほまれ”二個を差し出された誠意に何度もお断りましたが、結局戴きました。
金田旺:私は先程も申し上げましたように、内地は今度で三度目ですが、神宮参拝は初めてです。神域に一歩足を踏み入れると日本の気高さ美しさに触れた気がしまして、日本は神の国だ、強い兵士の生れるのは当然だと襟を正さずにはおれません。精神生活活程度の低い半島の私達は何処に行っても引け目を感じて全く恥ずかしい思いをしました。私達も一日も早く強い立派な母になって次代を継ぐ子供を育て上げねばと決意しました。それから親兄弟の無い私は境遇が許せば、将来は篤志願看護婦を志願して働きたい念願です。
金月:私は内地へ参りまして、不思議に思ったことがございます。それは朝鮮では午前七時に遥拝し、正午に黙祷をするのですが、内地ではそれが行われ居りません。何故であろうかというのが私の疑問でございました。ところが、それが段々分かったのです。それは内地では到るところに神社がありまして、人々は朝夕心から敬虔の念を持っておがんでいるのです。汽車の窓からもこれを見ることが出来るのです。
だから内地の人々は神様といつでも一緒に居るのだということが分かり、殊更朝鮮のように定められた時間にしなくともいいのではないかということが分かったのであります。私達も毎日の生活の中にいつでも神様と一緒に生きているのだというところ迄進まなければいけないのだと感じました。
安春一:内地の病院へ行って見ますと、看護婦さんと違った婦人達が兵隊さんのよごれたものを洗って居りましたので、よく聞いて見ますと色々の婦人団体の方々が勤労奉仕をして居られるのだと聞きまして、私達もこれからどこかの病院へ行って御手伝いして上げたいと思いました。
本社側:そうですね。半島女性としての覚悟も色々とできたことと思います。
金錦紅:内地婦人の淑やかで親切なことは驚くばかりです。これは半島婦人は是非学ぶべきだと思いました。半島婦人と違って、上流婦人といってもたかぶらず、優しく誠意があって何処へ行っても楽しく過ごすことが出来ました。横須賀行きの列車で御同車願った高宮社長婦人など私等の如き者の手荷物にまで気を配られて、何くれとなく御世話下さったのには全く頭が下りました。御親切が身に沁んで帰りの汽車中では話に夢中になって、東京駅まで乗り越した程です(笑声)。半島婦人は堅苦しい点があるのでも、少し親切を尽くし合う様お互いに修練を積む必要があると思います。
兎に角内地では東京初め何処に参りましても電車の中、汽車の中、到る處に傷痍徽章を胸に付けた勇士の姿に数多く持して、ほんとうに相済まなく存じました。半島にも幸い徴兵制が布かれましたので、青年も婦人も老若挙って今こそ皇国民として真に総起ちの秋だと存じます。
本社側:長時間に亘って色々と有難うございました。
【写真=第一陸軍病院で重傷の白衣勇士を慰問する一行】
胸搏たれる白衣の勇士の純情
芸能慰問隊・帰還報告座談会
文英子:兵隊さん ... はほんとに偉いと感じさせられました。内鮮一体を言葉でなく身をもって度々示されたからです。純真で率直な兵隊さんは朝鮮服で慰問する私共に心から感謝し再起奉公を誓って下さるのです。勿体なくて泣かされた事も度々でした。勇士が戦場に出て世界一強い理由がハッキリしました。
私共もこれこそ”神の国”だと悟らされ、半島の銃後も愈々これからだ、との無言の暗示を受けました。或る一組の兵隊さんとお母さんを見ましたが、やはり赤十字病院で慰問の後、記念撮影することとなり、一人の重傷者は『自分も是非入りたい』。それから、その日見えたお母さんらしい年老いた方をも差しまねいて一緒に入って、とても満足そうでした。聞く處によりますと、その勇士は半島慰問団が来るというので遠い田舎から手紙で母親を呼び寄せ、自分も幾日も前から指折り数えて充分楽しむことが出来たと非常な喜びようでした。事情を知って私達一同も今更胸をうたれた次第でした。
金淑瓊:広島に着いたのは夜中の十二時で、みんなも相当疲労して監督格の金錦紅さんは持病の脚気がつのって遂に倒れましたが、あんなに喜んで下さる兵隊さんの様子をみると休むことは出来ないと注射を打って無理に舞台を勤めようとするのを姉さんの分はみんなで勤めますから、どうか休んで下さいと無理に頼んで休んで戴きました。そんな風に一同張切りました。
金剛春:妓生の芸なんてどんなことをするんですかーと言われた時は全く悲観しましたが、講演が終ると俄かに態度を改めて『やあ全く素晴らしい』とサイン帳など持って殺到されるんです(笑声)。こんな時には、やはり甲斐があったと愉快になりました。下関では、足の不自由な兵隊さんが『今日はほんとに有難う、これは少しですがみんなでのんで下さい...』と”ほまれ”二個を差し出された誠意に何度もお断りましたが、結局戴きました。
金田旺:私は先程も申し上げましたように、内地は今度で三度目ですが、神宮参拝は初めてです。神域に一歩足を踏み入れると日本の気高さ美しさに触れた気がしまして、日本は神の国だ、強い兵士の生れるのは当然だと襟を正さずにはおれません。精神生活活程度の低い半島の私達は何処に行っても引け目を感じて全く恥ずかしい思いをしました。私達も一日も早く強い立派な母になって次代を継ぐ子供を育て上げねばと決意しました。それから親兄弟の無い私は境遇が許せば、将来は篤志願看護婦を志願して働きたい念願です。
金月:私は内地へ参りまして、不思議に思ったことがございます。それは朝鮮では午前七時に遥拝し、正午に黙祷をするのですが、内地ではそれが行われ居りません。何故であろうかというのが私の疑問でございました。ところが、それが段々分かったのです。それは内地では到るところに神社がありまして、人々は朝夕心から敬虔の念を持っておがんでいるのです。汽車の窓からもこれを見ることが出来るのです。
だから内地の人々は神様といつでも一緒に居るのだということが分かり、殊更朝鮮のように定められた時間にしなくともいいのではないかということが分かったのであります。私達も毎日の生活の中にいつでも神様と一緒に生きているのだというところ迄進まなければいけないのだと感じました。
安春一:内地の病院へ行って見ますと、看護婦さんと違った婦人達が兵隊さんのよごれたものを洗って居りましたので、よく聞いて見ますと色々の婦人団体の方々が勤労奉仕をして居られるのだと聞きまして、私達もこれからどこかの病院へ行って御手伝いして上げたいと思いました。
本社側:そうですね。半島女性としての覚悟も色々とできたことと思います。
金錦紅:内地婦人の淑やかで親切なことは驚くばかりです。これは半島婦人は是非学ぶべきだと思いました。半島婦人と違って、上流婦人といってもたかぶらず、優しく誠意があって何処へ行っても楽しく過ごすことが出来ました。横須賀行きの列車で御同車願った高宮社長婦人など私等の如き者の手荷物にまで気を配られて、何くれとなく御世話下さったのには全く頭が下りました。御親切が身に沁んで帰りの汽車中では話に夢中になって、東京駅まで乗り越した程です(笑声)。半島婦人は堅苦しい点があるのでも、少し親切を尽くし合う様お互いに修練を積む必要があると思います。
兎に角内地では東京初め何処に参りましても電車の中、汽車の中、到る處に傷痍徽章を胸に付けた勇士の姿に数多く持して、ほんとうに相済まなく存じました。半島にも幸い徴兵制が布かれましたので、青年も婦人も老若挙って今こそ皇国民として真に総起ちの秋だと存じます。
本社側:長時間に亘って色々と有難うございました。
【写真=第一陸軍病院で重傷の白衣勇士を慰問する一行】
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Uploaded by 石上苔 on